楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

きびす・さしがね

(暗い日記)

母方の祖母の家に帰省していた。というか半ば連れられる形で。正直なところ自分から行くつもりはなく、半分以上は義理のつもりで足を運んだ。

私は親類とはもとから健全なコミュニケーションがとれないのだが、今までで一番つっけんどんな対応をしたんじゃないかと思う。子供のころよりも子供みたいだ。自分のふるまいを写したビデオがあったら正視していられないと思う。

親類に自分を開示することに深いところでわだかまりがあり、それは正直なところ(本日2回目)改善は見込めないと思っている。薬を飲んで治るならそうしたいが、努力が必要ならその努力は厭うている。

多人数が同時に動く場にいるとセルフネグレクト状態に陥ることもわかった。複数人が動いている状況下で何か実現したいことがある場合、複数人の利害を調整する必要があり、それが苦手である。調整することなしに自分の要求を主張すれば独善に陥り、他人に迷惑はかけたくないので要求を噛み殺すことになる。結果、一人暮らしの部屋で生活するときに実現できているセルフケアのレベルを数段階落とすことになる。

それもあって、向こうにいるあいだにアトピーが悪化したので体のいろんな部位がかゆい。体の内側、食道のあたりもなんだかむずむずする。呼吸も浅くなりがちである。自宅で数日過ごせば解消すると思うが、前段落の事情もあって環境の変化には本当に弱いことを実感する。

話し声やテレビの音がひっきりなしに聞こえてきたり、いつ誰から視線を向けられるかもわからない心配もあるので、本はほとんど読めなかった(何の本を読んでいるかを知られたくなかった)。暇な時間はあったのだがスマホを見るか寝転がっているか、ぐらいしかできなかった。

そもそも今年は急激な寒暖差もあり(滞在中に日の最高気温が10℃ぐらい変化した)、体調を崩していたので、踏んだり蹴ったりに拍車をかけたかもしれない。

一人になってから自省するに、私は自分のすること(行為)によって自分の時間を編成している。〈何をするか〉があって、はじめて時間が時間として立ち上がる。なにもしない時間が重なると、私の時間は支えを失い、ところてんのようにぐずぐずになる。するべきことを忘れ、セルフケアレベルが著しく低下する。そう思うと他人の時間に乗っかるのではなく、家事仕事を手伝うなどして自分の時間を確保するような行動をとるべきだったのかもしれない。

そんなわけで主観的にはわりと踏んだり蹴ったりの夏休みでした。仕事の都合でこちらに戻る時間を10時間程度早めたんだけど、べつに仕事やりたくねー。自分の優先度を下げた結果として誰も幸せになっていない。

良かったことは、思う存分ぼんやりできたのと(自宅だとYouTubeなどの刺激物を永久に摂取してしまう──まぁTwitterはかなり見てたけど)、生活リズムが強制的に変わったので自分の入眠ポイントがわかったこと。最近はいつも2時過ぎにふとんに入って即入眠してたんだけど、ここ数日は0時から1時のあいだに入眠していた。今後は0時台の入眠ポイントをターゲットとして時間を組み立てようと思う。