楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

初期化された足袋

出張から戻れるめどが立ち、ここしばらく頭の中を占めていたものが抜けたら、とたんに寂しくなった。人恋しくなった。予定、懸案、そうしたもので占めていたスペースを、今度は人と時間を過ごすことで埋めたいと欲している。

いまこうして文章を書くことも私にとっては「人と時間を過ごすこと」の一種だ。自分という他人と過ごすこと、なんだろう。

埋めるものが「ひと」でなければならないのかはよくわからない。わからないが、その問い方には偏りがあり、裏返すと「ひと」であっても別にいいのだろう。その選択肢を排除する必要もない。ただ、この頭の内に空いたスペースは、予定であっても懸案であっても「ひと」であっても等しく収納する汎用的な領域として確保されているみたいだ。

さみしいは空隙で、空隙が悪なのではなくて、空隙があると人はそれを埋めようとする。埋めようとする試みがうまくいかないと人は苦しむ。まあそういうことなんだと思う。埋めようとする手をいったん止めて、空隙をあえて楽しんでみるという方向もある。もちろん埋めようとしてもよいが、とにかく何かで埋めなくちゃというかたちで空隙に頭を乗っ取られるのはたぶん破滅への道だろう。