楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

なかでも資本主義

仕事中に思い立って家の排水溝の掃除をした。仕事中にすることではない。いや、数分で終わると思ったんだよ。でも、歯ブラシでゴミ受けの汚れを落として、重曹を撒いて、お湯を沸かして、クエン酸湯を作って注いで、待機して、それでも足りなかったので歯ブラシでパイプ内も磨いて、とやっていたらけっこう時間が経ってしまった。気がする。時間計ってないからわからない(なにもかもだめだ)。

台所を通るたびに、いろんな食べ物が混じり合ったような鼻をつく匂いがして、まあ「臭いな」と思ったので掃除をした。それに、この夏になってから出るようになった小さな虫の発生源がそこかもしれないと思ったのも理由だ。というかそっちがメインだ。いつも水びたしにしている場所に虫が棲みつくわけない、と心のどこかで思っていて、でもよく考えたら虫の「発生」とは無から有が生まれることではなく匂いにつられて集まってくることなんだよな(パスツールの実験の話)、と後になって気付いた。

掃除してみたら、今までパイプの地肌だと思っていた部分が汚れであることを知った。そりゃ臭いも放つわ。においもはなつわ。掃除後はその臭いは消えて、かわりに「なにもない台所」の匂いがしだした。匂いがしていないと言葉で表現されるときでも、鼻は何らかの匂いを感じているわけだ。以前、部屋干しの臭いがしてきたタオルを煮沸消毒したときも驚きが待っていた。「タオル本来の匂い!」 本来の匂いってなんだ? でも、以前とはまったく違うある匂いを嗅いでいることは確かだ。

文と文の切れ目に空白「 」を置くというテクニックを最近よく使っている。段落より小さい意味の切れ目、みたいなイメージで。いや、もっともらしく言ったけど、ほんとうはそれぞれの段落のサイズがある程度均等だと気持ちいいという美意識があり、一文だけの段落が生まれると嫌だから無理やりくっつけているという説もある。ただ使うときは「本筋と外れるけど、ちょっと付け足したい一文」みたいな気持ちで使っていることが多いだろうか。要するに自分でもよくわかっていない。ただ、使うと言葉が出てきやすいときがあるから使っている。

短詩での「一字空け」の転用かもしれないと気付く。短詩で、一字空けの意味は場合と解釈によりさまざまなんだけど、時間の経過を表すという用法をここでは意識している。ひとしきり話した後に、言うべきことを追加で思い出して、ぼそっと付け加えるイメージ。いずれにしてもあいまいさは避けられない。

自分は言葉については保守的だと自認しているんだけど、この〈句読点の一種としての空白〉は自分から使い出した。それには上記のように短詩に親しんできたという経緯が後押しになっているかもしれない*1。その一方で、出版物にこういうものを見つけたら、マジ? と思うだろう。それは出版物には規範を示して欲しいと私が思っているからだ。「ちゃんとしたもの」を出して欲しい。でもこの「ちゃんとした」ってどういうことだろう。政府が示した正書法に則っていることだろうか。(日本語の正書法ってどんなもんだっけと思って検索したら、日本語には正書法がないと主張している本が出てきた)

ちゃんとしてほしい、をより扱いやすいように言い直すと、出版物は規範があるものに関して保守的であって欲しい、ということなのかもしれない。私はそこをよりどころにするから。

*1:補足しておくと、一字空けは基本ルールというよりアドバンストな技術に属すると思う。ただ、使っている人はいくらでもいる。