楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

のみならず夜景

ラジオを聞いていたら、番組のゲストがこんなことを話していた。曰く、映画はエンドロールを見ずに席を立つようにしている、見たらこれがフィクションだったと実感されてしまうから、と。私はそれを聞きながら「ウソ臭いな」となんとなく感じていて、のちにその話し手が私がなんとなくイケてないと思っているバンドのメンバーであることがわかったときには妙に腑に落ちる感覚があった。けど、これってなんなんだろう。話ぶりか話の内容か、わからないけど私は音声だけからそれを「ウソ臭いな」と直感して、でもなんでそんなことを読み取れるのかと思うし、言ってる内容と言ってる人のある種の〈一致〉みたいなものも、正確なところ何と何が一致しているのかよくわからなくて気持ち悪い。でも奇妙に一貫した一連の出来事としてそれらが経験されたのも否定しがたい事実で、それは〈人間は都合の良いストーリーで経験をまとめがち〉という事例の一つでしかないのではないかという気もしつつ、でもそれこそ「フィクション」という言葉では片付けがたい不思議なリアリティがあって戸惑っている。自分にとってはリアル、でも「知見」として一般化したらいけない話だろうとも思う。偏見を助長する。個人の経験としては否定すべきではないが、言説として流布するのは正義に適わない……みたいな感じですかね。経験と、経験を言葉にすることのギャップ、同じ言葉が文庫本の中に書いてあれば炎上しないが、SNSに書き込まれたら炎上する、そういう違いなんだろうか。どうだろう。