楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

眉間に降る雨

「聞く」と「聴く」の違いについて、ただ耳に入れているのが「聞く」で、音楽など内容に注意を向けながら聞くのが「聴く」なんだよ、という説明を学校で聞いたことがある。その説明は自分の中で生き続けている。

自分の注意力や鑑賞力みたいなものに自信が持てなくて、自分のしていることは「聴く」に値するんだろうかと心配してなんとなく謙遜的に・あるいは予防線を張る意図で「聞く」を選択することが多かった。

でも、基礎的な語彙の選択でシビアな判断が求められるというのもなんだかおかしい。作品を真に味わっている者しか「聴」の字を使うことは認められないなんて言われたら、それは言葉の不当な独占だと言いたくなる。

それに、最初の説明だけだと「聞く」が「聴く」の下位互換であるかのようだが、「聞く」ことだってそれはそれでけっこうすごいのではないか。聞くことは理解することをともなう。対象に意識を向けていなくても、耳に入れたことを私たちは理解したり覚えたりしている。また、「聞く」だけで他人との関係性が変わっていくこともある。なんとなく「聞く」ことなしに私たちの生活は成り立たないだろう。

だから、優劣をつけずに、ただ対象にことさら関心を払って意志的行為としてする〈聞く〉を「聴く」と表記する、ぐらいの使い分けを念頭に置けばよいのではないか。

……そんな使い分けぐらい国語辞典に載っているわけですが。使い分けがあるだけなのに差異の中に序列を読み込んでしまう私たちの(いや、私の)癖は度し難いですね。