楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

劇団吸収

月曜火曜水曜と退勤が24時を過ぎるような暮らしを送っておりまして日記を書こうというコンディションになりませんでした。きょうも22時ぐらいまではやってたけど、あまりにもあまりな時間まで仕事してる日が続いたあとだとこれでも「今日は早く帰れたな~」などと思ってしまうので人間というのはいとも簡単に錯覚を起こすのだなあと思います。目に映るものをみているのではなく心の中の残像をいつも見ている。変換しそこねた「みている」を表記統一のために「見ている」に直して、でもなんとなくいたたまれなくて「みている」に戻す。

ストレスは行動に現れるものだなと思う。取引先と電話しながら手元で竹製の耳かきを弄び、話の運び上《今日も遅くなるな》と知ったとき、衝動的にその耳かきで自分の頭を刺した。私の頭部は傷つくことなく、耳かきの先の部分が破れるようにして折れた。そのあとも電話しながら耳かきを弄び、片手でへし折り、二手に分かれたところを引き裂いた。電話が終わってから悲しくなって涙を流した。耳かきはいつも私とともにあった。手持ち無沙汰なとき、逃げたいけど逃げられないとき、一息つきたいとき、私は耳かきで耳掃除をした(あまり頻繁にするのが良くないのは知っている)。そんな在宅生活の友達のような耳かきを自分の手で破壊してしまったので、悲しくなったのだ。

客観的に見れば、ストレスのはけ口が人間や動物でなくて、人工物であったのは幸運だった。けれど自分の中の罪は罪として残る。少なくとも、新しい品物をすぐに買いに行こうという気にはならなかった。彼のことはしばらく机の上に置いておくだろう。