楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

レペゼン笑い上戸

シェアサイクル借りて一番近い繁華街へ。いつのまにかシェアサイクル網が実家近辺にも出来上がっていた。自転車はやっぱり楽しくて乗らずにはいられないけど、シティサイクル(別名ママチャリ)は重量があり、かつ重心が低いためかハンドリングしにくて、少々危なっかしい。しかし電動アシストはイイね、というかママチャリの正統進化という趣はあって、電アシ前の自転車は不完全な姿だったんだと納得する。しかしその一方で乗り心地は原付と区別がつかなくなっており、って私は原付乗ったことがないのに想像でものを言っているのですが、事実原付でよくね?って気もしてきた。考えてみたら。まあ自転車は免許がいらないのが手軽なわけですが。また、原付は車道しか走れないけど自転車は(実運用の話として)歩道もガンガン走るので、歩道を活かせるという意味でも自転車に分があるのかな。というかそういう自転車の法的にグレーな扱いが前提としてあるわけですよね。自転車も車道を走るのが原則なわけですが自転車レーンが整備途上である現状においては車道だけ走ってたらトラックとかに殺されそうになる瞬間なんて珍しくないし、柔軟な対応が必要になるというのは実際問題としてある。かといって歩行者よりも強いみたいな顔をして歩道を爆走するのも違うけど。自転車は歩行者にも車にもなりきれないどっちつかずの立ち位置があるため(そして自転車独自の地位なんてものもないため)、難しいとともにそこが面白さだとも感じているけど、大半の自転車ユーザーは単に移動速度が増えた歩行者のようにふるまっています。

買い物に出たけど何も買わずに帰宅。いや、立ち寄ったブックオフで復本一郎『俳句と川柳』(講談社現代新書)を買った。歴史のことが書いてあって重宝しそう。しかし電車でわざわざ都心まで出て、あちこち歩いても欲しいもの見つからなくて、座るところなくて脚が疲れて、ちょっとイライラして帰宅するみたいなの、学生のときみたいだ。というか、何年か前までそれが常態だった。最近そうした経験をすることが減ったのは、「上手になった」という能力獲得の面もあるだろうけど、それよりはうまくふるまえるように陰に陽に環境調整を進めてきた結果なのかなあと思う。具体的に言うのは難しいけど、環境が変わるとこうコロッと前の自分に戻ってしまうものなんだなと。

俳句の同人誌を読んだ。内容が面白いのは前提で言うんだけど、歳時記か広辞苑みたいな大きな辞典にしか載っていなそうな単語が頻出していて、これはもはや専門用語なのではと思ったりした。これは特定の雑誌に限ったことではなく、あるあるというか、実際そういう文化になっていると思う。工場で働く人がいろんな道具の名前を覚えるように、俳句に従事する人は俳人しか知らない言葉をたくさん知っている。あと、植物や動物の名前が漢字表記されるのも「文化」で、郷に入りては……と思いつつ、なにか漢字検定に取り組んでいる気分にさせられるのも否めないんだよね(勉強したくない!と叫んでいる子供の自分を見つけた)。