楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

緑黄色暖簾

土曜日に餃子を包んだ。なんか餃子が食べたくなってさ。餃子は好きで、中華料理屋とかに行くと高確率で頼むんだけど、実は食べるたび「これが俺の食べたかった餃子なのか……?」というわだかまりを捨てきれずにいた。

まぁ実際のきっかけは何だったのか覚えていない。とにかく1ヶ月くらい前に「餃子を作ろう」と思い立って、1ヶ月ぐらいそのままにしていて、先週「ストレス解消のために餃子を作ろう」と再度思い立ったのだ。ストレス解消とは何のことかというと、手を動かしてものを作ることがストレス解消になるのではないかと着想したのだ。それはYouTubeでパスタを手打ちする動画を見てそう思ったのであり、さらに遡ればYouTubeでスライムを作って遊ぶ動画群を見てそう直感したのだが、それはさておき、五感を使って何かをするのは心にとってなにかしら必要な栄養分を供給してくれる。

まずタネを作る。「餃子 レシピ」で検索すると5種類以上の調味料を配合して味付けするレシピが現れるが、私にとっては複雑すぎて頭が混乱するので(もちろんレシピに忠実に作れば考えずに済むのだが、レシピに忠実に作るのも日によっては気合いの要ることなので)、味付けはシンプルにした。ひき肉、キャベツ、ニラ、そして少量の塩をボウルに入れ、手袋をしてこねた。幸い、つなぎを入れる必要もなく、うまくまとまってくれた。いや、うまくいかなければつなぎを足せばいいだけなんだけど。

そして包む。私は高校生ぐらいまでは実家で餃子を包むのを手伝わされていたので、指が覚えていて何も考えなくても1つ1つ餃子を包むことができた。こういうのも教育の賜物、「教養」なんだろうなあと思った。しかしひき肉150gで作ったタネを包み切るには根気がいる。実家では母や兄弟が時間を共にしていたので苦しみが少なかったが、いまは一人である。頭の中を実況中継するように独り言をブツブツ言いながら、自分の心身をコントロールしていった。何を言っていたかは覚えていないけど、「このぶんだと皮は余らないかな」「いやあ疲れたな」「これで10個目か」とかそんな他愛もないこと。結局、大判の皮20枚をきっかり使い切った。

焼く。マジメにレシピを遂行するのがとにかく面倒臭いコンディションだったので、適当にフライパンに餃子を並べて油を敷いて、温度が上がってきたら水を入れて蒸し焼きにした。とりあえず火が通れば良い。仕上がりは餃子がフライパンの底にくっついて、餃子同士もくっついて、剥がしたら皮が破れタネが露出して、店でも家庭でも出せない見た目になったが、一人で食べるのだから何も問題ないとステンレスの小さなボウルにあけて、酢・醤油・ラー油でタレを作って食べた。

とりあえず、自分が食べたい餃子は食べられたので満足。そして餃子は(専門店などは別として)家で作るほうがおいしいという仮説も検証された。なぜ家のほうがおいしいかというと、餃子を包むのは時間的コストが高いので冷食のような出来合いのものを使う店が多いからだと思う。ただしこれは完全に想像でものを言っているので、別の理由があるのかもしれないけど。それから気づいたのは、皮がじつはうまいんだよな。餃子は肉の部分がうまいのであって、皮はタネを支えているだけの外枠でしょと概念的に捉えていたけど、皮がうまい。そういう発見もあったのでとても有意義な時間を過ごせた。包むのが面倒とは言ってもタネの仕込みから焼き上がりまで1時間弱ぐらいだったし、煮込む系の料理全般のほうがよほど時間がかかる*1

なお、今までの話と直接関係ないけど、この日は体調が悪く軽いめまいと闘いながら料理をしていた。料理するの翌日にしてもいいじゃんと思うかもしれないけど、そうなるとその日に何食べたらいいかわからなくなるんだよ……。食べたら少し元気になった。しかし自分にとっての適量の倍ぐらいできてしまったので、食べた後しばらく動けなかった。ひき肉150gは「気持ち多めかな?」ぐらいなんだけど、キャベツとニラでかさが増える分を考慮していなかった。

*1:もちろん、煮込み料理の場合は煮込みに何時間もかかるという待機時間を念頭に置いての話だけど、待っている時間も完全に料理のことを忘れられるわけではなく定期的に鍋の様子をチェックしたりするので、トータルのリソースで見るとやはりハイコストだと思う