楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

バジルから馬車馬

小学生のたしか低学年~中学年のころ、遊びに行くにしても学校から一度帰宅してから外に出るという習慣で、私が帰宅する時間帯には母親が在宅しているのがお約束だった。でも母親が買い物なんかで出掛けている日も普通にあり、そういう日は私は家に入れなくなった。今書きながら、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまった。家に入れない日があるのはわかりきっているのに、私はなんの対策もしなかった。ただそれを受け入れていた。どこかで時間をつぶすことも知らなかったから、マンションの階段の踊り場で母親が帰ってくるのをじっと待っていたのだ。地面に座るわけにもいかないし、突っ立っていて、しんどくないわけではなかったけど、でも当時は「そういうもの」としか思ってなかったんだな。だからそれを「苦しみ」だとは認識していなかった。他のしかたがあると想像できなかったから。帰ってきて、私が待っているのを発見した母親の感情は、驚きと呆れが混ざったようなものだったような気がする。その感情を読み取っていながらも、私は他のやり方を考えるすべをもたなかったので、待つというその習慣を変えることがなかった。やがて小学校高学年ぐらいになって、合鍵を持たされることになった。

……だからどうだ、ということはないのだけども。過去の自分がどうやって生きていたか、戸棚を開けるように確かめることはできなくて、ただ何かの拍子にふっと思い出すことがある。それを書きとめている。小学生時代は、今よりも遥かに遥かに狭くてきゅうくつな世界を生きていたような気がする。なお念のため付け加えておくけど、この件に関して母親にネガティブ感情を抱いていたりということはなく、むしろこれを書いているときには何の感情も伴わなかった(途中で馬鹿馬鹿しくて笑ってしまったのが唯一だけど、笑いが感情なのかどうかは少し疑わしいと私は思っている)。ただ不思議な気持ちで当時を振り返るばかりである。