楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

消しゴムスプラウト

仕事で消耗しているはずなんだけど休日は午前中に起きられてしまう。疲れていても睡眠時間が長くならないというコンディションが3ヶ月ぐらい続いている。3ヶ月は目測だ。日中ことさらに眠くなるということもなく、ただそれはTwitterYouTubeを見るなどの刺激が比較的強く精神活動が最低になっているときでもなんとなくできる活動に時間を費やしているからかもしれない。日課の中国語の勉強を始めると覿面に眠くなったりするし、本を開いて長い文章を読もうとするとまるで頭に入ってこなかったりする。

ふとんの上でだらだらするのは良くてもTwitterYouTubeだと頭を緩慢に使っているばかりで休息にはなっていない気がするので、「その他」の活動をする、その手はじめに日記を書いている。

頭が冴えているという言葉とは対極にある状態の中、それでも川柳を作るために言葉を使う回路を頻繁に動作させているため文章は前よりも出てきやすくなっている。それが良いことだと言うのにはためらいがあるが。「それ自身だけを取り出して言えば良いことだ」と言うと抵抗は薄れるが、なくなりはしない。何かを「良い」と言うためには、何らかの意味で総体的に良いと言えなければならないという直観があり、その視角から見たときに文章が比較的スラスラと出てきて考えに適切な表現をあてがえることは別に幸福なことではないと判断した。「良い」と「幸福」も密接に関わっているだろう。

ただし、それはあくまで一人でいるときのことを念頭に考えてのことであり、他人と時間を過ごすときには「言葉が出てくる」ことが身を助けることはありそうなことだ。機会が少ないが。

ある遅刻した日の朝、その日は起床予定時刻よりも早くに目が覚めて、起き上がってトイレを済ませ水を飲んで、なんとなく台所の換気扇を回して、カーテンを半分くらい開けてふとんに戻った。換気扇の音を聞いているのが心地良くて、聞くともなく聞いていた。部屋の天井に外からの光が映り込んでいてゆらゆら揺れていた。天井に映り込むには光が下から上に向かって進まないとそうならないはずで、なぜこんなことが起こっているかわからなかった。光は陽炎のように波を打っており、ときおりスクリーンセーバーみたいに雨滴のようなものが画面に触れて波を撹乱させる。それが一体どんな物理現象なのか知らないまま、ただ気持ちが良かったのでふとんの中でまどろんでいた。最近あった体験でよかったこと。