きのう10時間眠って、今日は8時間眠った。よく眠るのは健康的でいいことだが、しかしわたしはそんなに体力がないのだろうか。睡眠欲(?)もだが食欲もある。最近は起床が遅いので朝食と昼食の間が2時間ぐらい、昼食と夕食の間が5時間ぐらいしか空いていないが、って朝〜昼はともかく昼〜夜のスパンは特段長いわけではないか。とにかく働いていたときによくあった、まだお腹がすいていないのにごはんを食べないといけないという状態がなくて、かといって毎食腹ペコで行っているわけではないものの食べるときには食べる分だけの腹は空いているという状態が維持されている。働いていると緊張で食物の消化が妨げられているのかなという感じもあったし、あと読書・勉強の量は明らかに増えているのでそういう点でもカロリーを使っていると評価できる面があるのかもしれない。しかし労働において読書・勉強に比べて有意にカロリーを消費しない過ごし方をしていたのだとすれば、私はどんな資源を投じてお金に変えていたのだろうか。働いているあいだじゅう、何かが消耗している感じは明らかにあったのだが。
人によるだろうけど、今日とだいたい同じ形をした明日が来るだろうと信じられることが私には重要で、それは自炊や勉強ができることの基盤とさえ言っていいと思う。実際、明日から急に忙しくなって帰宅時にはごはん作る元気が残らないかもしれないとか、朝にごはんを炊いても残業して遅くに帰宅するかもしれないという考えがあるところでは、冷蔵庫に食材を入れておくことすら(腐らせてしまうという心配から)かえって心の負担になっていた。また、読書でも勉強でも〈つづきからはじめる〉ということが大事というか、その連鎖を通じてひとまとまりの意味世界を自分の中につくる活動だから、連鎖が途切れることはそのまま読書や勉強の妨げである。もちろん実人生でそんなにうまい条件が揃っていることはあまりなく、そこで〈なんとかうまくやっていく〉ということが代わりに主題化してくるんだろうけど、しかし一度途切れたものを繋ぎなおすことは自分にとってかなりのコストだし、それで続けるのが困難になるほどのものでもあった。賽の河原。
なんてつらつら書いてみた。後半わざとらしくなった気もしてるけど、しかし「明日どうなるかわからない」という状況は(そもそも状況と呼べるのかどうか)自分の人生をかなり損なっていたと思う。それを言いたかった。学生ぐらいのとき、ひとはいつ死ぬか分からないから、いつ死んでもいいように生きたいねなんて考えてて、それはそれで一つの真実だけど、しかし人間社会って「今日と同じ明日が来る」ことを前提として、その認識をインフラとして色々なものが設立されてるよなあと思う。