楡男

一億人の腹痛と辞書と毛虫とオレンジと

変形五行思想

11/4

いつもよりたくさん歩いた。朝、授業を受けてから、2駅分先の本屋まで歩いた。お昼どこで食べようか探しながらだったので、遠回りした。食事の場所がなかなか決まらないので心の負担になった。決まらないでいるとだんだん決まらないモードになってきて、さんざん歩いて決まらなかった末に牛丼、という結末を受け入れる体勢ができてしまう。それはあまりよくないことだと思うので、とにかく牛丼屋以外に入るという目標に修正した。タイムサービスで100円安くなっていた、チェーンの某カレー屋に入った。初めてだったけど、味とかより気になったのは、違う人達の間で同じサービスを提供する仕組みといったことで、いわば仕組みに人間があわせてる感じで、まあなんかいうと個人でやってる中華料理屋なんかのほうがたたずまいとしては好きだなとか思った。文句ばかりいうのもあれだけど味も最大公約数的で、世界に対する新たな発見?がない。でも、決まり切った訴えかけをすればきっちり予想の範囲内におさまる反応が得られるというのはチェーン店の魅力ではあって、味でも店員の対応でもそうだ。このことは先週も書いた。僕もそういう、透明さというサービスに乗っかってるわけだよねぇ。

夜は某打ち上げに出させてもらって、結果的にお酒をたくさん飲んでしまった。また、いまさらながら反省するんだけど、飲んだときに物質的抵抗感というか、アルコールを摂取してるという感じがしなくなったら危険だ。歯止めがかからなくなり、飲み過ぎてしまう。そしてある段階をすぎるとどういうわけか歯止めがかからなくなってしまう。酔いの度が過ぎると視界がぶれ、携帯の文字もぼやけてまともに読めない。帰りの電車に乗る前に3件ほどツイートしたけど、あれもすでに手放し運転的なやりかたで書いていて、それ以降は見るのもきびしかった。不快感の気配。こういうときは電車に乗るのでさえひと工夫いる。最寄り駅の2駅前で止まる最終電車を降りて、歩いて帰った。無心だった。しゃっくりがひどかった。後半、聴いてる音楽に合わせて勢いよく歌ってしまったりして、典型的なよっぱらいだ。河原で見上げた空に星がたくさん見えた。家に着くと倒れるようにふとんの上に、視界もぐるぐるして、でも歯だけは磨いて眠った。

11/5

翌朝も酔いは残っていた。起き抜けがいちばんひどく、視界がやはりぐるぐる回転して大丈夫か、今日行けるのか、と思いつつ(僕もう学生じゃないんだけどなあ……学生だけど)、寒くてお腹が痛いので起きざるをえず、居間のソファにもたれて様子見たり、食事も難しいかと思われたけど食べないとあとできびしいと思って食パン一枚はすこしずつ崩して食べきった。家出る頃にはまあまあまともに使えそうな体調に戻っていた。iPodでパフィーのベストアルバムを流して、こんな朝に「これが私の生きる道」のイントロが、なんだかぴったりだと思った。なんかね。

というわけでなんとかなったものの、昼から図書館でしようと思っていた執筆作業が、どうにもねむくてモノになりそうにないので、帰って一眠りしてからやろうと思って、帰ってきた。眠ったら起きても惰性でねむくなって、知的作業に慣らすために今は日記を書いている。

お昼に牛丼屋に入ったのですが、12時台の牛丼屋は込んでてかなわんなと思いました。店の人が忙しそうで注文するのが申し訳ない。なんてあらためて書いてみると僕の偽善性があらわになるけど、かくにもそのときの僕は動きづらく感じていたのだから、お互いにとってもよくないのだろう。一度、飲食系のバイトを夏の間だけやったことがあって、忙しいのが(少なくともその場においては)ストレスフルだというわけではないことを経験としては知ってるんだけど、忙しい人を自分がさらに忙しくしてしまう、というのがなんかできない。自分が忙しくなるぶんにはかまわないって思っちゃうんだけど。